ピアノに関する基本知識

【番外編】私の友人たちのピアノに関する思い出

私の友達にはピアノに関する思い出がある人が結構多いです。



例えば子供の頃に習っていた人や、今でも続けている人、 自分の子供にピアノを習わせている人まで様々です。


そんな友人たちの思い出を綴っていきたいと思います。 様々なエピソードがありますよ。


ー目次ー


エピソード1:母のために。
エピソード2:夢は娘との連弾。
エピソード3:アンサンブルの楽しみ。
エピソード4:ブラウンのピアノ。
エピソード5:ピアノ経験が役立った?バンドブームでキーボードを。
エピソード6:母の好きな曲が今では私にとってかけがえのない曲に。


エピソード1:母のため…


私は3歳頃、ピアノを始めました。
小さい頃なので自分の意思ではなく、
両親が娘には音楽をやってほしいという思いがあってのことでした。


ですから、ピアノがいつから自宅に置いてあるのかも記憶に無いし、
最初に弾いた曲の事もおぼえていません。
物心ついた頃にはもうアップライトピアノが置いてあったのです。


一番古い記憶は、音楽教室のグループレッスン


同じ歳の幼稚園児たちが電子ピアノの前に座って演奏をしています。
その後ろでは子どものお母さんたちが子供達の様子を見ています。


演奏の途中、私は間違えてしまい、止まってしまいます。
そのタイミングで後ろのお母さん達が笑い出したのです。


今にして思えばその時世間話をしていたので、それについて笑っていたのでしょうが、
自分が笑われてしまったんだと思いこんでしまい、ボロボロと涙がこぼれてきます。


突然泣き出した私に困惑した先生は、心配して早退させてくれました。
帰り、母に泣いている理由をたずねられましたが、
恥ずかしくて答えられず、何も言わず泣き続けました。


何年か過ぎ、小学6年生になりましたがピアノを続けていました。
そんなに熱心にやっていたわけではありませんでしたけどね。


私がピアノを弾くと母が喜んでくれる


なんとなく、そう感じていました。


小学生の時は音楽委員になったり、朝会の合唱で伴奏をしたりしていました。
周りからはピアノがひける子と認識されていたようです。


中学生の時には毎年開催される合唱コンクールで必ずピアノを弾いていました。


人見知りな性格だったために自分から話しかけることが苦手で友達もそんなに多くはなかったのですが、
合唱コンクールの時期だけは同じクラスの子達と楽しんで話していました。


「合唱の練習をしようと思うんだけど、伴奏をやってもらってもいいかな??」
と声をかけられるのが嬉しかったので、この時期は頑張ってピアノの練習をしていました。


練習を始めると、母はさりげなくテレビを消してくれていました。


そんなピアノでしたが、高校進学に伴ってやめる事になったのです。
進学校だった上に、入りたかった部活ではハードな練習があるようだったので
ピアノをひく余裕はなくなってしまうことが考えられたからです。


「ピアノ、どうする?無理に続けなくてもいいのよ?」
そんな母の言葉に胸が締め付けられました。


中学3年生の2月、ピアノを習いに行っているところのピアノの発表会がありました。
これが最後でしたから、先生に曲をリクエストしました。こんなことは始めてでした。


リクエストしたのは母が好きだった「渚のアデリーヌ」です。


当時の私だったらもっと難易度の高い曲を弾く事もできましたが、
最後の発表会ということで、ピアノを続けさせてくれた母の為に、
母が好きな曲を弾きたかったのです。


さらに月日は流れ…ピアノをやめて両手では足りないほどの年数が経ちました。
たまに実家に帰るとホコリをかぶったピアノが私を迎えてくれます。


使わなくなってしまったピアノですが、捨てる事が出来ないのは
私にも両親にも、思い出の詰まった大切な物だからなのでしょう。


この先、私に子どもができたとき習わせるか、今は分かりません。


今度帰省したときにでも、弾いてみようかな。
久しぶりすぎて相当鈍ってそうですけどねw



エピソード2:娘との連弾を夢見て…


私がピアノを始めたのは幼稚園の年長で5歳ぐらいの時でした。
そのきっかけはクラスの友達のお母さんがピアノの先生で、その子も弾きはじめたからでした。


今はもうあまり覚えていないのですが、手の形やドレミを習って、
バイエルを使って習っていきました。
ツェルニー30番、40番、ハノンなどといった練習曲に加えて
メヌエットやトルコ行進曲などといった有名で聞いたことがあるような曲などを弾いていました。


練習が面倒くさくなってしまったり、上手くひけない曲があったりして、
投げ出したいなと思ったこともありました。
しかし、毎日練習を続けていき、小学生高学年になった私は音大へ行きたいと
ただ漠然と思うようになりました。


それなら、と東京芸大出身の先生に習わせてもらえることに


しかし、いざ行ってみると周りの子達のレベルの高さにショックを受けました。
小学6年生の私と1年生の子が同じレベルの曲をやっているようなところでした。


この時、人生において始めて挫折を味わったと思います。
どれだけ頑張って練習しても、この子達には叶わないだろう…
そんな風に思って、練習をする日々が続きました。


そんな中、中学、高校と進むにつれ、英語の楽しさを知り、進路を変更を考え出しました。


ピアノは趣味として続けよう。そう決心し、音大進学の夢は消えたのです。


芸大出の先生にはずっとお世話になりました。
ショパンの幻想即興曲やベートーベンのソナタなどを練習しました。


今はもうその先生はお亡くなりになりましたが、
ピアノの音を作る基本をしっかり叩きこんでくれた先生で本当に感謝しています。


大学受験の時は少し休んだのですが、社会人になってもずっとピアノを弾き続けています。
やっぱりピアノを弾いていると楽しいんです。
私のストレスを発散させるのにかなり役だっています。


大人になってからやる曲はクラシックにとどまらず、ポップスも弾くようになりました。
ピアノを弾いているときは自分だけの時間で、心を無にして没頭出来るのが心地よいです。


それから母になって…4年目です。


現在、娘はピアノを習っています。


幼稚園に出入りしている先生に教わっています。週に1回30分のレッスンです。
4歳の娘は張り切ってやっていますが、今後はどうなるんでしょうかね。


このまま順調にピアノを続けていって、10歳頃になったら
発表会で連弾をしたいな…というのが私の夢です。


弾く曲はブラームスの「ハンガリー舞曲」がいいかな。
それともフォーレの「ドリーより・子守唄」かな。


実現すると良いなと願っています。



エピソード3:アンサンブルを楽しむ


ピアノとは孤独な楽器なのです。
というのも他の楽器に比べ、一人で演奏することが圧倒的に多いのです。


ヴァイオリンだったらピアノ伴奏がついたり、弦楽四重奏などのアンサンブルなど
オーケストラで複数の楽器が一緒になって演奏する曲が大半です。
それに比べピアノは大体がソロ曲で、
練習の際も一人っきりで家にこもってやって、
本番も一人っきりで演奏しなければならないのです。


一人でも全然余裕な人、ピアノを弾くのが楽しい人なら大丈夫でしょう。
しかし、そのような性格でない人もいます。


それが私で、一人でずっといると孤独に耐えられず気が狂うぐらい寂しいのです。
こんな人間好きなタイプの人は本当に辛いですよね。


そんな人はピアノにむいていないの?


そんなことはありませんよ!


確かにピアノはソロ曲が多いですし、オーケストラと一緒に演奏する協奏曲も
伴奏で弾くのがほとんどなので結局ソロとあまり変わりません。


しかし!アンサンブルの曲だったら全ての楽器の人が台頭で、練習でも綿密な話し合いがあったり、
白熱した議論を交わす事だってあります。


アンサンブルの曲には2人で演奏するものもあれば、4、5人のものや
もっと大勢のオーケストラの中に入るものもあります。


オルフの「カルミナ・ブラーナ」という曲ではオーケストラや合唱の中に
ピアノが2台、チェレスタ(鉄琴に似た音が出る鍵盤楽器)が1台入っています。


鍵盤奏者がなんと3人も!


とりあえずアンサンブルやってみたいなあ、という人は、
まずピアノ以外の楽器を演奏する仲間を見つけて演奏するのが良いでしょう。
ヴァイオリン、クラリネット、トランペットなどなど。


練習中も人との関わりがあるので、
さびしがり屋で一人では続けられない!という人には良いと思います。


自分と最低でも1人いれば良いわけですから、
人数の多いオーケストラと比べたら気楽に演奏する事が出来ます。
選曲も自由なので、多いに楽しめると思います。


ヴァイオリンと一緒にやる場合ならベートーベンのヴァイオリンソナタがいいですね。
第5番は有名な「春」です。


もっと小規模な曲だとエルガーの「愛の挨拶」なんかもありますよ♪


他にも管楽器と一緒にやる場合も素晴らしい曲がありますよ!
フルートだったらバッハやプーランクのソナタがおすすめです。
サックスだったらおもしろい近現代の曲がたくさんありますよー♪


変わったところだと、ヒンデミットの「チューバとピアノのためのソナタ」なんかも面白いです。


ですからさびしがり屋のピアノ弾きのみなさん!
是非、仲間を見つけてアンサンブルを楽しんでください\(>▽<)/



エピソード4:ブラウンのピアノ


始めてピアノに触れたのは確か3歳ごろだったろうか。
そのときの記憶はほとんどない。


ただ、ピアノをひくという行為が
日常の中に組み込まれていたということは記憶している。


音楽教室に通い始め、ピアノが置かれた


自宅に置かれたピアノは割りかし小さいもので、
鍵盤は軽くはなく、ブラウンの落ち着いた色をしていた。
それはしっくりと馴染んだ。


グランドピアノほどはさすがに響かなかったが、
自宅で弾く分には申し分なかった。
ブラウンという色が珍しく、とても気に入っていた。


簡単なドレミから練習曲を弾き、
上達につれて難易度の高い、有名なクラシック曲も弾くようになった。
音楽自体が好きだったため、どんどんピアノにはまっていった。


運指を無視する


しかし、自由に弾きたい気持ちが強かったので、
楽譜の運指を無視して弾いてしまっていたのが難点だった。


幼い頃は先生の言う事を素直に聞いて、運指もしっかり守っていたので
上達は早く、曲のバリエーションもどんどん増えていく。


歳を重ねて自我が強くなってしまった事で
運指を守る事に納得出来なくなってしまい、
上達のスピードもどんどん落ちていってしまった。


そのときと同じくして、地域のバレーボールチームに入った。
完全にそちらに興味が移ってしまい、
レッスンが近くならないと練習する意欲が沸いてこず、
そのうち疎遠になってしまった。


中学に進学すると
新しい環境と部活動が楽しくて仕方なかった。
そうして、結局音楽教室をやめてしまった。


インテリア化したピアノ


全くピアノを弾かなくなってからも母は調律をかかさずやってもらっていた。
調律のおじさんが必ず言うのが


「いいピアノですね。」


だった。その言葉を聞くと心が傷む。


あるとき、友人関係でとても悩んでいた。
どうしても学校に行く事ができず、
しかし何もする事が無いなかで佇んでいると
あの、インテリア化してしまったピアノが目に入った。


おもむろに椅子に座り、蓋を開けると
ピン、と鍵盤を鳴らしてみる。


もやもやが少し晴れたようなそんな感覚になった


家にある楽譜を引っ張り出してきて、
とりあえず簡単なものを弾いて見る事にした。


長らく弾いていなかったため上手くは弾けなかったが、
音の心地よさを感じた。
無我夢中で色んな曲を練習してみた。


それからというものは気持ちが晴れなかったり
挫折しそうになってしまったりしたときには
ピアノを弾くのだった。


相変わらず上手くは弾けなかったが夢中になる事ができるのだ。


音色が気持ちよい、感覚。


社会人となり、家に帰るのも遅くなったりして
とにかく練習する時間がなくなってしまった。
そこで、ピアノを必要としている人がいたので、譲る事にした。


譲るとなると、やはり寂しい気持ちがこみ上げてきた。
ただ、ためし弾きをして楽しそうにしている姿を見て、
このピアノはこれからも色んな思い出を作る事が出来るんだな、
と思うと気持ちが晴れやかになった。


今まで寄り添ってくれた大好きなブラウンのピアノ…


また心地よい音を奏でているに違いない。


そうであってほしいと切に願う。



エピソード5:ピアノ経験が役に立つ?バンドブームでキーボードを


小さい頃からピアノ教室には通っていたのですが…
そこまで熱心にはやっていませんでしたね。


上手い子はリストやショパンなどの大曲に挑戦していたのに対して
私はというと簡単な曲をマイペースにちょこちょこやる程度でした。


しかし、そんな不真面目な生徒にも年に一度試練が訪れるのです…
それは発表会で演奏を披露しなければならないということ。


私を担当してくださっていた先生はとても良い先生で、
テクニックが劣っていてもそれなりの物に聞こえる曲を
毎回選んでくれていました。


サティーやドビュッシーなど、ホテルのラウンジでかかっているようなやつです。
左手は簡単なコードを押さえ、左手はシンプルなメロディを弾くというものです。


こんな感じでクラシックに関してはかなりゆるーくつきあっていました。


しかし、転機がやってくる…


バンドブームだった時代…
私も近所の悪友達とバンドを組もうかという話になりました。


ピアノの経験がある私は必然的にキーボードをやることに。。


しかしバンドにおけるキーボードってやつは そんなに重要なものでは無いんですよね。


花形といえばやっぱりボーカル、ギター、次点でベースでしょう。


ドラムも固定式ではあるものの、 音圧やアクションの派手さといったものがありますから、 どうしようもなく、勝ち目はありません。


ただ、その目立たなさを良い事に 少しずつ試行錯誤しながらマイペースで慣れていく事ができました。


書店にはバンド情報雑誌がズラリと並んでいました。


現在ではグラビアやファッションに重きをおいたものが主流ですが、
当時はプレイ自体に着目していて、
タブ譜や五千の楽譜などに多くのページを使っているものもありました。


私は楽譜に愛着を持ち、一生懸命練習していた記憶があります。
クラシックにはあんなに興味が持てなかったのに…本当に謎です。


人気があったのは「X JAPAN」でした


彼らのデビュー当時…
ハードなドラムプレイが印象的だったYoshikiが
しっとりとしたピアノを奏でている、というのがなんとも斬新でした。


メジャーでのデビューアルバム曲だった「ENDLESS RAIN」は
「Blue Blood」のエンディングに使われていて、
ピアノがフィーチャーされた曲でもありました。


何年も経った今でも、これを聞くと自然に指が動き、
耳コピした古い記憶がよみがえってきます。



エピソード6:母の好きな曲は私にとってもかけがえのない曲


私は小学生のときにピアノを習っていました。


しかし、練習が嫌いだったのでしずに行くと レッスンの時に先生に怒られてしまう…という感じでした。


ただ、発表会やコンクールで恥をかいたり迷惑をかけたりするのはいやだったので、
それなりのクオリティに仕上げるためにそれの前ぐらいはしっかり練習しました。


そんな感じでピアノを続けていき、季節が冬に変わるころ
毎年恒例のクリスマスコンサート用の曲を決める事になりました。


クリスマスコンサートとは1年の成果を披露する発表会で、
小学生に上がる前ぐらいの小さい子から、
大学生ぐらいまでと割と幅広い歳の生徒が
自分の好きな曲をセレクトして発表します。


発表曲はだいたいそのときにやっているテキストから選ぶことが大概で、
グレードの受験を目指していた私はその中から
母が好きな冬のソナタの挿入歌、「My Memory」を演奏する事に。


母の独断と偏見によって選ばれました…


曲が決まっても練習が嫌いな私はなかなか練習する事はなく…
それでもたまに練習するときには母はそれを静かに聴いていました。


そんなに上手に弾けるわけではないですからうっとりはさせられませんでしたが、
上達するにつれて「凄い!」と褒める母の声のトーンが
少しずつ高くなっていくのを感じました。


それが嬉しくて、練習の頻度が上がりました。


こつこつ練習していくうちに上手になって行き、
いつのまにか身体がこの曲を覚えるまでになりました。


クリスマスコンサートが無事終わった所で、ピアノ教室を辞めることになりました。
しかし、この曲は今でも身体に染みついています。


ピアノ教室では楽譜どおりに弾くのが正しい事とされていたので
好きなようにアレンジすることが出来ませんでしたが、
いまではアレンジし放題なので原曲に近づけつつアレンジをかけています。


母が独断と偏見で決めてしまった曲でした…。


しかし、それはいつのまにか私のお気に入りの曲になりました。


最近ではほとんどピアノに触れる事もなく、発表することもないけど、
いつか大きなホールで発表する機会があるのであれば、
この曲で拍手を浴びたいと思います。


そうなったらもっと練習して観客を魅了させるぞ!と思います。
ピアノを習っていたときはそんなこととても思えなかったんですけどね。


そして、この曲を弾くたび、ピアノを習った日々、母との思い出が蘇ってきます。
かけがえのないこの曲は母との思い出の曲です。



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